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武蔵野航海記

武蔵野航海記

西洋哲学を読みました 3

アウグスティヌスは自伝を書いていて、彼の生涯はわりとよく分かっています。

彼は北アフリカのかつてのカルタゴの地で生まれました。

人種的にはアラブ系か黒人系ではないでしょうか。

彼はまだ十代のときに女に子供を生ませたりしてけっこう現世を謳歌していました。

宗教的にもマニ教に入信しその後キリスト教に改宗しています。

彼は色々遍歴しているのです。

こういう若い時の生活を人生の後半になって強烈に後悔していて、その気持ちが彼の思想の根底にあります。

彼にとって昔のことはあらゆることが後悔の種だったらしく、少年の時に空腹でもないのに隣の家の梨を盗んだことを「神の国」に延々と書いています。

アウグスティヌスの思想でもっとも特徴的なのは「罪の意識」です。

この罪の意識はユダヤ教が持っていたものと彼の個人的な後悔が結合したもののようです。

ユダヤ人はヤハウェの神に愛されて繁栄を約束されていたはずなのに、現実は国が外国に滅ぼされたり奴隷として拉致されたりと悲惨な目に遭っています。

ユダヤ人はその原因を考え、自分たちが神の教えに背き偶像を崇拝して異邦人の女と結婚したからだと考えました。

ユダヤ教の面白いところは、罪に対する罰はその罪を犯した個人に下るのではなくユダヤ人全体に降りかかると考えていたことです。

しかし個人の犯した罪に対する罰が集団に下るというのも不合理なので、後には罰は個人に下るという発想も出てきました。

結局ユダヤ教では、ユダヤ人の個人が犯した罪により、個人も罰せられるがユダヤ人という集団も神に苦しめられるというように考えるようになりました。

こういう罪に対する罰の発想をアウグスティヌスは、自分の若いときの罪に対する後悔で増幅させ「原罪」というものに結晶させたのです。

この罪の意識がキリスト教に入ってきた時に変形しました。

キリスト教の教会は罪を犯すはずがないので、個人的な問題に過ぎないと考えられたのです。

その一方で人類全体が罰せられるという発想も残っていたので、それは全ての個人が罪を生まれながらに持っているからだということになって行きました。

これが「原罪」です。

原罪というのは非常に分かりにくい発想ですが、個人の犯した罪によって集団が罰せられるという思想が根底にあると考えると分かりやすいと思います。

個人の犯した罪に対して、集団を罰するという考えと個人を罰するという考えの両方がキリスト教にあります。

集団と個人をゴチャにしているわけですが、この混在はキリスト教の他の面にもあります。

その一つが予定説です。

予定説は16世紀の宗教改革のときに、ルターやカルヴィンが強調したものですが、パウロやアウグスチヌスなどごく初期のキリスト教神学にすでにあります。

神は救う者をあらかじめ彼が生まれる前に決めているというのが予定説です。

この予定説を初めて聞いたほとんどの人は魂消ます。

個人の努力を一切認めない大変な説だからです。

ですからまだ信者になっていない人が教会に行くと、牧師はこの説を露骨に言わないように注意します。

イギリスの詩人のミルトンだったかは、こんな理不尽な神を信じるぐらいなら地獄に落ちる方がましだと言ったくらいです。

予定説の神学的理論については後ほど説明しますが、いずれにしてもこれは神と個人との直接関係です。

その一方で、洗礼を受けて教会員にならなければ救われないという教義もあって、これは神と人間の集団との関係です。

神が救おうと決めた者はいずれ教会員になるということです。

ダンテの神曲というのは、ダンテがあの世で見聞したことを書いたという想定になっています。

ダンテは地獄に行って、古代ローマの人格者で有名だったヴェルギリウスに会って驚きます。

「なんで貴方のような立派な方が地獄にいるのですか」

これにたいしてヴェルギリウスは「キリストより早く生まれた為にキリストの教えに接する機会がなかったためだ」と返事をしました。

キリスト教の根本的な教義は信者でない日本人にはとうてい納得できないものだと思いますが、アウグスチヌスは彼なりに考えた結果だったのです。

アウグスチヌスは慈悲深い神がどうして人間を苦悩の中に放置するのだろうかと必死に考え、「原罪」という考えに到達したのです。

人間の原罪とそれに対する神の救いというのが、キリスト教の中心課題です。

ですから、宗教改革というキリスト教の本質を問い直した改革運動が、罪の意識を異常なほど強く持ったルターによって始められたのももっともです。

紀元410年にゲルマン人のゴート族がローマを占領しひどい略奪暴行をしました。

この時に伝統主義者から、古来の神を放棄したにこんな目にあったのだとキリスト教を避難する声があったので、それに反論するためにアウグスチヌスは「神の国」を書きました。

人間が生きている現世は地上の国だが、もうひとつ神の国があり、教会がこの神の国とつながっていると主張している本です。

この本でアウグスチヌスはプラトンを高く評価していて、その哲学に影響を受けていることを隠していません。

プラトンはイデア説で、本当に実在するのはイデアの世界でありこの世はイデアの世界が投影されたものにすぎないといっています。

アウグスティヌスは、「プラトンが全ては神から来ていることを正しく理解している」として評価しています。

プラトンは、「人間の見たり聞いたりする知覚は頼りないもので、それによって真理を知ることは出来ない」としていますが、アウグスチヌスはこのプラトンの見解にも賛成しています。

信仰によってはじめて真理は理解できるのです。

また、有徳でさえあればこの世的な幸運は得られなくても本当は幸福なのだともアウグスチヌスは言っていますが、これはストア派の「義務を果たすことが正しい」というのと同じ主張です。

このようにアウグスティヌスは、神の存在の証明にギリシャ哲学を援用しています。

また彼は予定説をこの本のなかで次のように述べています。

「神が人類を選ばれた者と見捨てられた者に分けたのは、功罪によってではない。

全ての人間が永劫処罰に値するので見捨てられた者も不平をいう根拠はない。」

つまり、人間は原罪を持っているので全員が本来なら救済されるはずはない。

しかし神の特別の好意によって一部の人間は救済されるのです。

この場合にどういう人間を救済するかという判断基準は、人間には知ることができないというのです。

ここのところが多くの凡人にはなかなか理解できないところで、「あんないい加減なヤツが救済されて、行いの正しい自分が救済から外されたのは納得できない」と文句が出てくるのです。

こういう不平不満をキリスト教では、「神を自分の召使にする思想だ」と非難します。

神は全能で人間の主人であり、決して人間の召使ではありません。

神は人間が考える判断基準(正しい行いをするとか真面目だ等等)など考慮せず、自身の判断基準を持っているわけです。

そして、神の所有物であり神の家畜(子羊)である人間は、主人の判断に無条件で従い文句を言ってはならないのです。

神が全能だというのは、こういうことでもあるのです。

西ヨーロッパがローマ崩壊後大混乱している間に、東の方でも大きな変化がありました。

エジプト・トルコ・シリアなどはもともとローマの版図でローマが東西に分裂した後は、東ローマが領有していました。

この地方はギリシャ人が多く、キリスト教も盛んで経済的にも豊かだったのです。

ところがこの東ローマの勢力がどんどん衰えて、これらの地方はイスラム教徒に征服されてしまいました。

シリアを占領したイスラム人は、シリア人からギリシャ哲学を教えてもらったのですが、シリアではプラトンよりアリストテレスの哲学の方が人気がありました。

そこでイスラム人もアリストテレスの哲学で神学を考えるようになったのです。

そしてこのイスラム神学が十字軍やイスラムに征服されたスペインの再征服によるキリスト教化を通してヨーロッパに流れ込んできてスコラ哲学が生まれました。

スコラ哲学とそれ以前のアウグスティヌス神学との違いは、簡単に言えばプラトンとアリストテレスの違いです。

アリストテレスはプラトン以前のギリシャ哲学を整理したので、色々な矛盾を取り除いたものですが、その分個性がないものです。

スコラ哲学が生まれたのは13世紀ですが、このころは中世の末期で商人たちが力を得てきた時代でした。

商売を行うには交渉術が必要で相手に負けないためには論理的でなくてはなりません。

こういうわけで商人の方が封建領主より教養があったのです。

このころにはプラトンとアリストテレスの違いも分かってきて、精緻な理論のアリストテレスを基礎にしたスコラ哲学に人気が集まったということです。

スコラ哲学は現在のカトリック教会の公式教義ですが、広く世間で通用したのはルネッサンスまでの200年足らずです。

それ以前のアウグスティヌスの神学は1000年ぐらいキリスト教の教義となっていて全てのヨーロッパ人の精神を支配していました。

アウグスティヌスの神学の方がはるかに重要なわけで、私はスコラ哲学にあまり興味がなくその詳細を説明するだけの根気はありません。

スコラ哲学を完成させたのは聖トマス・アクィナス(1225~1274年)です。

彼は「自らは動かず、動かすもの」というアリストテレスの哲学によって神の存在を証明しようとしました。

諸々のものにはそれの原因があるわけで、原因は「動かないもの」で結果として出来たものは「動かされたもの」。

この原因をたどっていくと最後に「自らは動かず、他を動かすもの」に突き当たるわけで、それが神だというわけです。

そして神の被造物である人間には神の本質を知るだけの理解力はありません。

だから神を信じれば良いのだというのがトマス・アクィナスの結論です。

14世紀にそれまで強固だったカトリック教会の基盤が瓦解しはじめますが、その原因は哲学ではなく外部要因の変化です。

フランスやイギリスの王国が強力になり法王の言うことを聞かなくなってきました。

ルターやカルヴィンに先立ってイギリスのウィクリフが宗教改革を始めましたが、彼が法王に逆らうことができたのはイギリス国王が彼を支持したからです。

ウィクリフはカトリックの神父でオックスフォード大学の有名な教授でしたが、司教の任命権は国王が持つと主張したのです。

この学説にイギリス王が喜んだのも当然で、彼は逮捕されることもなく自由にイギリス中を説教して廻りました。

当時のイギリス王の妻がボヘミア(チェコ)王家の出身だったので、ウィクリフはボヘミアへの布教に力を注ぎました。

そしてウィクリフの弟子がヤン・フスで、彼はチェコでウィクリフを真似して宗教改革を始めました。

当時のチェコはイギリスほど自立した国家でなかったので、チェコ王は法王の機嫌を取るためにフスを逮捕し焼き殺してしまいました。

ヤン・フスの宗教改革は挫折しましたが、その伝統はドイツに後々まで残り(チェコは歴史的にドイツの一部です)、ルターの宗教改革となってまた表面に出てきました。

ルターが宗教改革を始めても焼き殺されなかったのは、ザクセン選挙侯がドイツ皇帝や法王を向こうに廻して彼を保護したからです。

宗教改革の原因の一つは国王が法王に逆らい始めたことです。

裕福な俗人の知識レベルが上がってきたこともカトリックの基盤が瓦解した要因です。

地理上の発見はヨーロッパ人の世界観を広げ、コペルニクスの天動説はそれまでのカトリックの宇宙観を粉砕しました。

教養ある俗人たちが法王の権威を疑いだした時に、「コンスタンティヌスの寄進状」が偽造文書だということが証明されたのです。

「コンスタンチヌスの寄進状」というのは、キリスト教を事実上の国教にしたローマのコンスタンチヌス皇帝が帝国を法王に寄進するという内容の文書です。

歴代の法王は、この文書を自分の国王に対する権威の根拠にしていました。

今日はルネッサンスのことを書こうと思いますが、実はこの時期の哲学には特に書くべきことはありません。

13世紀に出来たスコラ神学の権威がなくなりましたが、それに代わって新しい哲学が出てきたわけではなく、古代ギリシャ・ローマの哲学の復興というか模倣が盛んになっただけだからです。

ルターやカルヴィンが始めた宗教改革は、ルネッサンスと時期的にダブッていますがルネッサンスとは正反対の方向を向いています。

イタリアで始まったルネッサンスは宗教的権威を否定して「もっと現世を楽しもうよ」という運動ですが、宗教改革は「今までのカトリックは本当のキリスト教ではない」として徹底的な宗教的生活を求めたものだからです。

この間、日本の高校生用世界史教科書を見てみたのですが、ルネッサンスに比べて宗教改革に割いているページが少なく内容も半端なので驚きました。

おそらく宗教改革が何なのか、日本人には良く分かっていないのではないでしょうか。

そしてこの教科書の結論は「ルネッサンス以後ヨーロッパ人は、宗教の拘束から解放されて人間らしい生活を送れるようになった」というものです。

この結論は宗教に無知な日本人が好みそうなものですが、私は間違っていると思います。

「人間らしい生活」と宗教は正反対だと主張しているわけですが、もともと宗教というのは「どうしたら精神的に動物ではなく人間らしくなれるか」「人間の本質は何か」を考えて出来たものでしょう。

宗教改革によりプロテスタントになった国は、イギリス・ドイツ・北欧・フランス(宗教改革当初はプロテスタントが盛んでした)など、中世では辺境でした。

後には北米やオーストラリアがプロテスタントに加わりました。

これらの国々の繁栄ぶりや影響力はカトリックに留まった南欧や南米の比ではありません。

図式的に言えば、

カトリック諸国 - 南欧・南米 - 不安定・貧しい - ルネッサンス

プロテスタント諸国 - 北欧・北米 - 安定・豊か - 宗教改革

となります。

世界のより重要な部分が15~16世紀に、以前よりもっと宗教的になったのです。

現在、アメリカは次の大統領選びで大騒ぎしており、エスタブリッシュメント(保守的支配者層)のクリントン夫人が苦戦しています。

現大統領のブッシュが人気を失っていますが、これはあまりにキリスト教的だからです。

キリスト教的な政治にうんざりしたアメリカ人は、エスタブリッシュメントと言う点では同類のクリントン夫人を嫌がったという側面があります。

「非宗教的」ということで白黒混血のオバマの人気が沸騰しているわけですが、アメリカは非常に宗教的ですからこの人気も長続きしないでしょう。

日本以外の国では、今でも宗教は非常に大きな影響力を持っています。

実は日本でも宗教は非常に重要なのですが、日本人は故意にそれを無視しています。

さて、この「西洋哲学史を読みました」も近代に入ってきたわけですが、こうして西洋の哲学を歴史的に読み直すとなるほどと感じたことがあります。

それは西洋の哲学が「実在」を一貫して追及してきたということです。

この「実在」というのを改めて定義してみると、「他の助けを借りずにそれ自体で存在するもの。変化せず永遠に同じ状態で存在するもの」ということになります。

人間の肉体は絶えず老いに向かって変化していますから、存在しているとは言えるかもしれませんが実在はしていません。

動植物や大地、人間の心も変化しますので、これらも実在するとはいえません。

西洋では古代ギリシャから、「実在するものは何か」を追及しています。

「実在などという確かなものは存在しない」という経験論や不可知論もありましたが、それは少数派で、主流は「どこかに何かの形で実在するものがある」と思い込んでそれを追求してきたのです。

古くはパルメニデスが、あらゆるものの基をたどると「一なるもの」にたどり着くとしましたが、この「一なるもの」が実在です。

「一なるもの」はその後の哲学者に大きな影響を与え、プラトンもこれからヒントを得て「イデアの世界」を考え出しました。

「イデアの世界」は全てが変化するこの世ではなく、あの世のことです。

そこにはあらゆるものの理想的な原型が存在しています。

そこには「テレビのイデア」や「犬のイデア」から「美のイデア」まであらゆるもののオリジナルが揃っています。

人間の魂はかつてこの「イデアの世界」に住んでいてイデアを見ていたので、この世でイデアの拙い模倣を見ても「あれはテレビだ」「あれは犬だ」とすぐ直感できるのです。

「イデアなど実在するものはない」と主張した者たちにソフィストがいましたが、彼らは社会の支配者や「真面目な哲学者」から非難を受けました。

今ではソフィストは「悪党」「詭弁者」ということになっています。

「変わらない存在」の権威を背負った善悪の基準がないと、社会の秩序が維持できないからです。

「昔から将来まで変わらない善悪などなく、道徳はその社会の支配層が勝手に作ったものだ」ということになれば誰も真剣にその道徳を守ろうとしないのです。

永遠に変わらない「実在」であるイデアの世界にある善を説いたプラトンの哲学が2000年の歴史を越えてヨーロッパ人に人気があるのはこういう理由です。

ローマ時代の代表的な哲学であるストア派哲学もプラトンの哲学の一分派といえます。

キリスト教もプラトン哲学でその神学を組織しました。

この場合、「他の助けを借りずに存在し、永遠に変わらない実在」はキリスト教の神になります。

このように西洋では、「実在」の存在を前提にしてその社会を維持してきたのです。

ルネッサンスによってトマス・アキナスのカトリック神学の権威がなくなってしまいました。

ルターとカルヴィンは宗教改革を始めましたが、彼らの神学は初期キリスト教神学であるアウグスチヌスに若干の修正を加えたもので新しい哲学と言えるほどのものではありません。

ルネッサンスと宗教改革の騒動が収まった17世紀にカトリック神学には頼らない新しい哲学が登場してきました。

この近代哲学はデカルトから始まるのですが、彼もヨーロッパの昔からの伝統である「実在」の追及をしたのです。

デカルトが「他の助けを借りずに存在し、永遠に変わらないもの」を追求して「考える自分」が実在するのだという結論を出しました。

デカルト以後、キリスト教の神ではない「実在」を追及するのが流行となり、ライプニッツは「原子」が実在すると考えました。

このような「実在」を追及する流れは、カントや19世紀半ばのヘーゲルまで続きました。

共産主義はヘーゲル哲学から派生したもので「実在」を信じていますから、こういう意味では20世紀末まで「実在」を追及する哲学は健在だとも言えます。

一方、このような「実在」追及に対してそれを疑問視する動きも出てきました。

一つはイギリスで盛んになった「経験主義」で、これは「実在」の証明などというめんどくさいことは脇に置いて、現に存在するものの法則を明らかにしようというものです。

現代の産業社会はこの「経験主義」に上に成り立っていて日本人もこの発想にどっぷりと漬かっています。

もう一つの反「実在」の流れが「実存主義」です。

「実在」と「実存」は言葉が紛らわしいですが、「実在」はreal existence で本当に存在するものです。

即ち、イデアの世界のように変わらず永遠に存在するもので、これに反して現世は仮の姿、幻なわけです。

「実存」は現実存在の略語で、現にこの世にあるものという意味です。

パルメニデスやプラトン以来2000年以上「実在」を追求して徒労に終わったのだから、「実在」など無いのだという考え方です。

19世紀後半のキルケゴールやニーチェに始まり、20世紀にはいるとハイデッカーやヤスパース、戦後はサルトルと現在の哲学はこの実存主義が主流となっています。

私は「西洋哲学を読みました」を実存主義の手前で終わらそうと考えています。

実存主義には色々なものがあって私自身がその全体を把握していないから、というのがその理由の一つです。

また実存主義とは仏教のことではないか、という思いもあります。

仏教、特に大乗仏教は「諸行無常」や「空」が主要な考え方で、「永遠不変のものなど存在しない」と、実在を否定しています。

私は、仏教とは実存主義だと思っており、わざわざ西洋哲学で実存主義を話す理由もないと思うのです。

実は「仏教とは実存主義だ」というのは、日本の哲学者に共通の思いです。

日本を代表する哲学者とされている西田幾多郎は東京大学で西洋哲学を学びましたが、後に自分の哲学を作り上げました。

「絶対矛盾的自己同一」などと唱えていて「絶対の無」を強調していますが、私はこれなど仏教の思想そのものだと思っています。

西田幾多郎以外にも、多くの日本人が若いときに西洋哲学を学んで最終的に仏教の研究者になっています。

彼らは、「ヨーロッパ人が長い間考え続けた結果の最先端の学説が実存主義であり、それは仏教である。

であるから、仏教は世界最高の哲学なのだ」と自画自賛しています。

私は素直にはこの考えに賛成できませんが、もっと仏教をしらなくてはならないとは考えています。

近代哲学はデカルト(1596~1650)から始まります。

彼はあらゆるものの存在を疑いました。

自分の体ももしかしたら存在していないかもしれないと考えたのです。

しかし自分が考えているということは疑えませんでした。

そして「私は考える。ゆえに私は存在する」という有名な言葉を吐きました。

物質は、「考える精神がその存在を感じることができるのでおそらく存在するのだろう」という程度にしか確かでないものです。

「自分の精神の外にある物が存在しているか否かをどのようにして確認できるか」という問題に対してデカルトは一つの回答を出したわけです。

彼以後のヨーロッパの哲学者は、「ものははたして存在するか? 存在するならどのようにしてそれが分かるか?」という問題に夢中になりました。

デカルトが近代哲学の創始者だというのはこういう意味です。

それ以前の中世までは、本当に存在するものは神だけでこの世は仮の姿で幻なのだと考えるべきで問題ははっきりしていたのです。

「私は考えているという事実を疑うことは出来ず自明のことだ。 非常にはっきりして自明のことは真であり存在する」というのがデカルトの立場です。

彼は蜂蜜から作ったろうそくを例にあげます。

蜂蜜で作ったろうそくは、蜂蜜の味がし花のにおいがして、たたけば音がします。

しかし火に近づければ柔らかくなりたたいても音がしなくなります。

冷たくて硬いろうそくを見ても、温められて柔らかくなったろうそくを見ても、人は同じ蜂蜜のろうそくだと理解します。

つまり、ろうそくをみても冷たい状態のろうそくを見ただけで、ろうそくの本質を見たわけではありません。

彼はその精神によって、それがろうそくだと分かったのです。

見たり聞いたり嗅いだりという感覚でもの自体を理解することはできないのです。

デカルトの思想は、精神と物質は互いに独立しているが、精神の方が物質より優位にたつという主観主義です。

精神の方が物質より優位に立つという点を強調すれば観念論になります。

デカルトは近代観念論の始祖です。

また物質は精神とは別だという点に着目すると唯物論になり、彼は唯物論の始祖でもあるのです。

ライプニッツ(1646~1716)も「実在」を徹底的に考えました。

「実在」というのは、「他の助けを借りずにそれ自体で存在するもの。変化せず永遠に同じ状態で存在するもの」であって、単にそこにあるというだけの物ではないのです。

デカルトにとって実在は「考える自分」でしたが、ライプニッツは「単子(モナド)」が実在するのだと考えました。

このモナドというのは、物理的な側面もあるが本当は魂なのです。

人間の肉体はモナドから成り立っていて、それぞれが魂なのですがそのなかでひときわ重要なのがあって、それが人間に固有の魂と呼ばれるものだというのです。

ライプニッツは、神の存在を面白いやりかたで証明しています。

まず、最善・完全な存在を「神」と定義するのです。

もしも神が存在しないとしたら、上記の神の定義からして最善なものではありません。

他の条件が全く同じ二つのものを比較した時、一方は存在しもう一方は存在しなかったら、存在するものの方が存在する分だけ優れています。

すなわち、存在しないものは最善ではなく、ゆえに神ではありません。

だから神は存在するというのがライプニッツの主張です。

これはもう屁理屈であって、言葉の遊びです。

こういう言葉の意味を駆使して「実在」を証明しようとするのが西洋哲学の特徴ですが、こういうやり方を徹底的に排除しているのが実は大乗仏教なのです。

大乗仏教はご存知の通り、「実在するものなど存在しない」という考え方ですが、それを実在すると錯覚するのは言葉があるからだといっています。

この「空」の論理は別の機会に説明したいと思いますが、とにかく大乗仏教の言うとおり、ライプニッツは言葉による錯覚を利用して「実在」を証明しようとしているというのが私の理解です。

しかし私たちはライプニッツの生きていた環境を考えてあげなければなりません。

彼は18世紀初頭というまだ神が頑張っていて、無神論者は命がけで生きていかなければならない時代だったのです。

とくに彼は政治家で外交官でしたから、神は存在すると主張しなければならなかったのです。

そこで、世界はモナドという原子から出来ているという発想からスタートしながら、モナドは実は物質ではなく魂だと言い、最終的に神は存在するというふうに論理を持っていったのです。

哲学というのはその時代に大きく影響されているもので、「永遠の真理」などというものは存在しないのだなとつくづく私は思います。

こういう言葉遊びによって物事を説明しようというやり方は当時の人もなかなか納得しなかったでしょう。

これより時代が少し下ると、自分の直感を大事にしようということになっていきます。

ルソーなどはその典型です。

私もルソーのやり方のほうがまだしも正直だと思うのです。

近代になって個人主義が台頭してきました。

古代ギリシャでは、人間を本質的に共同社会の成員と考えました。つまり彼らはポリス人間だったわけです。

会社人間である現在の日本人に個人主義が無いように、ポリス人間である古代ギリシャ人にも個人主義はありませんでした。

ところがアレキサンダー大王によって広大な領域が専制政治によって統治されるようになって、政治的自由の喪失と共に個人主義が発生しました。

ストア学派がこの代表で、人間はどのような社会的状況でも善き生活を送ることができるというものでした。

この発想は初期のキリスト教にも受け継がれましたが、中世になると何が正しいかは宗教会議が決めるようになり個人主義は消え去りました。

近代になって宗教改革が起り、プロテスタントは何が善かを各自が決めなくてはならなくなりました。

最後の審判という神が裁判官を務める裁判では、弁護士などいなくて自分でその生涯を説明して神を説得しなければならないのです。

こういう個人主義は哲学の分野まで及んできました。

デカルトは「私は考える。ゆえに私は存在する」という考えましたが、こうなると知識は個人ごとに異なるようになってきます。
各人の考えの基礎をなす知識が皆違うので、何が正しいかという結論も異なってくるのです。

この個人主義は次第に力を増してきて、ルソーになってロマン主義になってきました。

自分の直感や感情が正しく、それは社会的な常識よりも優先するというものです。

ロマン主義というのは次第に情熱を大切と考えるようになり英雄崇拝になっていきました。

例えば、ゲーテの「若きウエルテルの悩み」という小説は、人妻に恋をしたためにどうしようもなくなり自殺してしまうというストーリーです。

人妻に恋をすることや自殺することは社会的判断によれば悪いことですが、それより自分の感情を優先することの方が大事だということです。

この小説はロマン主義が蔓延していたドイツでベストセラーになり、主人公のウエルテルを真似して自殺する青年が続出し大きな社会問題にまでなりました。

またイギリスのオスカーワイルドも情熱を最優先する小説を盛んに書きました。

フランスのバルザックのどちらかというとロマン主義で、彼の一連の小説には4000人の人物が登場しますが、彼の考えは「どんな種類の情熱であれ、情熱が一番大切なものだ」というものです。

また自分の属する国家を情熱的に愛するということから国粋主義にも結びついていきました。

ニーチェの「超人思想」などその典型です。

近代のヨーロッパを特徴つけるものの一つに自由主義というのがあります。

この発想が出来た要因は宗教上と政治上の二つあるように感じます。

宗教上というのはプロテスタントの信仰で、国家も教会も最後の審判に際しては個人個人の弁護士になれないので、それぞれの考えに任さざるを得ず、自由にさせるということです。

もう一つの政治上というのは宗教戦争です。

近代ヨーロッパのカトリックとプロテスタントの戦争というのは凄惨なもので、日本人の多くがキリスト教に反感をもつ理由としてよく挙げられるものです。

結局宗教戦争では宗教問題が解決できなかったので、その問題に干渉するのは得策ではないと多くの人が考えたのです。

そして、個人の信仰と社会秩序を調和させる方法として自由主義が出来てきたのです。

ここで「自由」という言葉に関して私の考えを述べたいと思います。

この「自由」という言葉は伝統的な日本語にはなく、明治になって新しく作られた言葉です。

由というのは理由とか思想という意味がありますから、「自由」というのは「思想の指し示す通りに」という意味だと思います。

これから判断するに、明治人はヨーロッパのFreedomという言葉を割合正確に理解したと思います。

ところが一般の日本人にはこういった発想が皆無ですから、結局「自由」というのは「勝手気儘」という意味になってしまって現在に至っています。

後に説明しますが、ヘーゲルという19世紀の哲学者は「自由」というのを哲学的な体系に従うことだと考えました。

そしてこの何が正しいかを判断するのは国家だとしていますから、結局国家の言うことに無条件に従うのが自由だということになります。

これは日本人の考えている「自由」とは正反対です。

古代ギリシャ人は「自由」のために侵入してきたペルシャ人と戦いましたが、彼らの自由とは古来の価値観を守ることでした。

近代になってプロテスタントがいうところの「自由」というのは、自分の信仰を守ることです。

この三つの例に共通しているのは、自分の信じている思想を守ることが「自由」だということです。

ですから「自由」のために戦って死ぬことが出来るのです。

ところが「勝手気儘」のために死ぬことは出来ません。

日本人が軍事に関して世界的な常識とかけ離れていることを考えていることの理由の一つはこれだと思います。

ジョン・ロック(1632~1704)のことを書こうと思います。

彼は自由主義哲学の創始者で、1688年のイギリス名誉革命の広告塔です。

この革命は控えめなものですが、その成果はイギリスに着実に根をおろしました。

これ以後イギリス人は革命の必要を感じておらず、同じ体制が320年も続いています。

非常に長く続いたと感じる日本の江戸時代が260年ですから、イギリスの政治体制の耐久力に驚きます。

名誉革命の思想は世界中に輸出され、フランス、ロシア、ドイツなどで革命を起こしましたが、それらの革命はいずれも短命に終わっています。

フランス革命は10年ぐらいしか続かず、それ以後ナポレオンが出てきて、彼が退場した後に別の革命が数回起きています。

このことは、輸入物の思想が結局は有効に機能しないということを証明しています。

自由主義を標榜したイギリスの名誉革命は、イギリス本国では多くの支配層が共通して持っていた考え方が結晶したものです。

しかし、フランスなど別の国ではこの自由主義は外国の思想で、一部の指導者が頭で理解しただけのものだったのです。

日本でも明治維新により、ヨーロッパの思想を移植し新しい国家体制を作りましたが、その本質が分からず様々なおかしな現象が起きています。

そして現在に至ってニッチもサッチも身動き出来ない状況になってしまいました。

このような外国の思想を輸入して消化不良を起こす現象は、程度の差こそあれどこでも起きるのです。

余談になりますが、日本とイギリスは共に王室を頂く同じ体制の国だというとんでもない誤解が日本で広がっています。

イギリスの国歌である「神は国王を守る(ゴッド・セーブ・ザ・キング)」はイギリスの名誉革命を説明したものです。

名誉革命は従来の王を追い出し、自由主義を認める外国人の国王に入れ替えたものです。

この際にこの外国出身の国王とイギリス人が契約を結び、自由主義を守ることを条件に彼を国王にしたのです。

その後、イギリスを追い出された前国王の子孫が軍隊を率いてイギリスに上陸し敗者復活戦を挑みました。

このとき新しい国王が軍隊を率いて侵入者と戦ったのですが、イギリスの国歌は新国王に対する応援歌なのです。

つまりこの歌は、自由主義を守る決意を表明したものです。

翻って日本の国歌とされている「君が代」を見てみると、これは天皇家の末永い繁栄を歌っただけで民の繁栄には一切触れていません。

現在の日本国憲法(私はこの憲法は成立していないと考えていますが)は、主権在民を謳っています。

「君が代」と「日本国憲法」は水と油のように相容れない関係なのです。

このような巨大な矛盾に日本人が平然としているのは、日本人が「日本国憲法」に何の関心も持っていない証拠です。

つまりは、自由主義という思想が先にあってそれの番人が国王だというイギリスと、なにはともあれ昔から天皇がいるのだという日本とは体制が全然違うということです。

ジョン・ロックは経験主義を始めた人でもあります。

彼は、物体は二つの性質を持っていると考えました。

第一性質は物体から分離できないもので、形、運動、静止、数などです。

第二性質はその他のすべての性質で、色や匂いなどがあります。

そして第一性質は物体の中に存在しますが、第二性質はそれを見たり聞いたりする人間の中にあるというのです。

これは、物理的な世界は物質のみから出来ているということを意味するわけで、物理学の発展に非常に貢献した考え方です。

ジョン・ロックは非常に節度のある常識的な性格で、なにか変なことになるのを慎重にさけるという人でした。

哲学を考える時も、一つの前提からおかしな結論が出そうになると、考えを改めて検討しなおすというところがありました。

経験主義哲学は彼のこういう性格から出てきたものです。

それまでの哲学者は「実在」を追及していました。

「他の助けを借りずにそれ自体で存在するもの。変化せず永遠に同じ状態で存在するもの」を探し続けたのです。

そうして「実在」とは、神あるいは原子しかなく、それ以外はすぐに変化する頼りないものだとしたのです。

しかし現実の生活をする上で大事なのは、このような「すぐに変化する頼りないもの」です。

そこでロックは発想の転換を行いました。

確実な根拠はないものでも確率が高ければ、実際上はそういう法則を受け入れて行動した方が賢明だと考えたのです。

そうして、本当に存在するものは何かなどという不毛の議論をしようとしませんでした。

ただし神の存在については、それまでの哲学者が一緒家姪に考えたことをそのまま流用しています。

彼は敬虔なクリスチャンで神が実際に存在することを信じていたのでしょう。

また、「神は存在するかしないか確実なことは分からないが、あると考えれば無難だ」などと正直な発言をすれば、「無神論者」として社会的に葬られてしまう危険もあったのです。

見たり聞いたり触ったり嗅いだりして得られた知覚を材料にして、人間は知識を得ていくのだ、というのが経験論です。

この考えは現代の我々には当たり前のことですが、こういう考えが支配的になったのは割合最近のことだと思い当たりました。

プラトンは、人間の知識はあの世で得たものだと考えたのです。

人間の魂は転生するのであって、この世に生まれる前はイデアの世界に住んでいました。

ここではこの世のあらゆるものの理想形がありました。

これをイデアといいますが、今の英語でもアイデアルとは理想的なという意味です。

自動車でも時計でもネズミでもその理想的な形はイデアの状態であの世に存在し、人間の魂はあの世でこれらを経験していたわけです。

ですから人間がこの世に生まれて物を見ても、すぐに自動車やネズミだということが分かるのです。

このプラトンのイデア論が2000年以上にわたってヨーロッパの哲学の基礎をなしていて、子供たちが学校で教わる学問もこれでした。

デカルトは、確実に存在するものは「考える私」だとしましたが、ものを考えるにはその前提となる知識が必要です。

カメがウサギを追い抜いて先にゴールに着いたのを見たら、我々は「おかしい」と感じます。

ウサギの方がカメより早く走れることを知っているからです。

そうしてその理由を考え始めます。

しかし、ウサギの方が早く走れるという知識がないとこういう疑問が湧かず考え始めません。

こういう疑問を感じる知識はどこから来たかというと、デカルトも先天的に知識は備わっていると思っていたとしか考えられません。

つまり、ロックが経験論を始める前は、知識は先天的にあるのだというのが常識だったことが分かります。

では子供たちは何故学校で勉強するのかというと、自分の中で眠っている知識を目覚めさせるためだということになるわけです。

ところが経験論になると、我々が経験していないのでまだ分かっていない知識がこの世にいっぱいあるのだということになります。

経験論が科学の発展に好都合の哲学だということが分かります。

ジョン・ロックは「実在」「本質」といったものを考えるのにうんざりしていた様で、「事物はその物理的構成からなる実在的本質を持っているかもしれないが、そのような本質は我々には未知である」と言っています。

そして「本質」とは言葉だけのことだとも言っています。

また「種」というのも言葉だけのものだとしています。

ジョン・ロックが「種」というものに反対しているのは、古代の大哲学者であるアリストテレスが分類の大家で、自然界のものを「種」に分けたのを意識したものです。

動物園に行くと様々な動物の檻の前に説明が書いてあります。

たぬきのところでは、「ネコ目 イヌ科 タヌキ属 学名 Nyctereutes procyonoides 和名 たぬき」というのがあります。

私はこれを見るたびに、ジョン・ロックと同じようにうんざりします。

こんな分類にどんな意味があるのだろうと考えてしまうのです。

かれいとひらめは目の位置が右か左かで分けるのですが、これは名前だけのことでしょう。

日本ではカツオとマグロは別の魚ですが、英語では同じtunaです。

カモノハシなど、爬虫類か哺乳類かで学者たちが不毛の論争をしています。

結局、この種というのは言葉だけの概念で、ジョン・ロックはそれを指摘したのです。

このジョン・ロックの主張は、当時(17世紀末)では完全に無視されました。

聖書に「神はそれぞれの種を定めた」と書いてあるからで、彼の主張が認められたのは19世紀になってダーウィンが進化論を唱えてからです。

多くの日本人は「ひらめ」という魚と「かれい」という魚があると思っていますが、それはひらめという言葉とかれいという言葉があるからです。

アメリカ人はそんな区別はしません。二つを分ける言葉がないからです。

ジョン・ロックは、言葉が原因で錯覚が生じたのだと主張しているわけで、実はこれは仏教の「空」の思想です。

ジョン・ロックは、仏教の空と同じような発想で伝統的な哲学を否定したのです。

ジョン・ロックの経験論というのは、常識的で違和感が無いものですが、それだけ深みにかけています。

知覚から得る外界からの情報によって我々の知識はできるとしているのですが、この知覚はどうして存在するのかという問題を避けて通っています。

ロックだけでなく経験論全般が、「私とは何だろう。世界とはなんだろう」という大問題に触れていません。

こういう大問題を考えると、伝統的な哲学や宗教に戻ることになります。

永遠の動かないものがないと不安を感じるなら一神教かプラトン哲学になりますし、永遠不変の「実在」を否定すれば実存主義か仏教になります。

やはりジョン・ロックは哲学者というよりは政治思想家なのでしょう。

ジョン・ロックは名誉革命にその理論的根拠を提供した思想家ですが、彼の政治思想の多くはキリスト教から来ています。

キリスト教では伝統的に国王の権力を制限しようとしていました。

中世のローマ法王は王権神授説を唱えていました。

神がある男を国王に任命したわけだから、その男が神の教えを守らなければ王座から追放しなければなりません。

そしてその判断は神の代理人である法王が行います。

このようにしてローマ法王は国王に対する優越を主張したのです。

ところがイギリスでは名誉革命の100年以上前に宗教改革が起きて英国国教会が成立し、教会のトップは国王となっていたので、ローマ法王を引き合いに出せなくなっていました。

そこで王党派で革命鎮圧派だったフィルマーは、「神は聖書の創世記に出てくるアダムに国王権を与えたのであり、その権力はアダムから後継者に受け継がれ近代の諸君主に至る」と主張しました。

これに対してロックは、「国王がアダムの長子相続者だったら、国王はただ一人のはずだ」と反論しました。

また、名誉革命のもう一つの根拠である「自然法」も彼はキリスト教から説明しました。

「自然法」というのは、国会などで人為的に作ったというものではない法律のことを言います。

法律というよりは掟というほうが実態に近いです。

神が作ったり、起源は良く分からないが昔からあった掟です。

神話というのは単に昔の物語というものではなく、そこで活躍する神々の行動を通してどういうことが正しく何がいけないことかを教えるものです。

こういう意味で、神話は神が人間に下した掟であり自然法です。

こういう神話は部族という狭い社会でしか通用しない掟でしたから、別の部族にはこの神話が持っている善悪の判断を適用することは出来ません。

部族社会(ギリシャのポリスなど)が崩壊してもっと広い国家が出来ると、各部族が持っている掟を越えて共通する善悪の基準が必要となってきました。

古代ローマでは、ストア派哲学を持ってこの広大な版図に共通する掟としました。

ストア派哲学は、自然と調和する生活を正しいと考えていましたから、ローマ時代の「自然法」は自然という神聖な神からその権威が来ていたわけです。

この段階で自然法は、「風俗・習慣が異なる様々な部族が住む広い範囲に共通する掟」という意味を持つようになりました。

その後ヨーロッパがキリスト教化すると、自然法はキリスト教の神が人間に下した掟で、各国王が勝手に変えることが出来ないものに変わっていきました。

カトリック教会も「自然法」を強調しました。

中世のカトリック教会は大地主で、修道院は品質の良い製品を多く作り一般に売っていました。

修道院から物を購入しながら代金を支払わない不届き者が出ないように、カトリック教会は商品の売買契約を神との契約と位置づけました。

商品の購入代金を払わない者は神に対する反逆者だということになったのです。

そうして教会は、こういう不信人者の逮捕を国王に要請するようになりました。

国王も神を出されると拒否できず、「契約は神聖にして犯すべからず」という掟がヨーロッパ中に定着していったのです。

契約概念は自然法なのです。

ジョン・ロックは、彼の革命理論を作る際にこの従来からある「自然法」の考え方を利用したのです。

政府というものが存在しない「自然状態」では「自然法」が存在する、とジョン・ロックは言います。

自然法は神の様々な命令から成り立っていますが、ロックの場合はキリスト教の神が定めたものです。

キリスト教の基はユダヤ教で、その聖典である旧約聖書はキリスト教の聖書の一部をなしています。

その旧約時代の初期には、アブラハムやモーゼが活躍していて黄金時代を築きましたが、この当時はユダヤには国家が無く、預言者など信仰の篤い人が指導者だったのです。

その後時代が下り世の中が複雑になってきて、サウルやダビデが現れユダヤは王国になって行きました。

そして異教徒たる異邦人に圧迫され、最後には国家が外敵に滅ぼされてしまいました。

はるか昔に平和な「自然のままの」幸福な時代があったのだというのが、当時のキリスト教徒が共通に抱いていたイメージだったのです。

そしてこの「自然のままの」状態に「自然法」が存在したわけで、「自然法」は非常に良いイメージを持っていたのです。

この自然法の中で重要なのが、「自由」と「人権」です。

当然ながら、この「自由」と「人権」はキリスト教の信仰、特にプロテスタントの信仰から来ています。

「自由」とは、各自が抱いている神への信仰を守り誰にも邪魔されない権利であって、そういう信仰の裏づけのない「勝手気儘」とは違います。

「人権」とは、神の所有権を尊重するということです。

人間は神によって作られた神の所有物です。

ですから人間を不当に扱うというのは、神の所有物を侵害するということなのです。

北朝鮮による拉致被害者家族会会長の横田滋さん夫妻は、娘が拉致された後にクリスチャンになりました。

人権をつきつめて考えていくとキリスト教に突き当たるのです。

南朝鮮の拉致被害者は日本の数十倍にのぼっていますが、これに対する抗議運動は非常に低調です。

南朝鮮のキリスト教徒は人口の30%と公式にはなっていますが、彼らが本当にキリスト教徒ならこのような「神の所有権に対する侵害」を容認するはずはありません。

南朝鮮のキリスト教徒の多くがインチキだという証拠です。

その一方で日本からの被害を非常に過大にはやし立てているのは、それが国家的利益だからです。


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